生成AIを自社でも使いたいが、何から手を付ければよいかわからない。製造業の方からそうした相談をいただくことが増えました。公開されている導入事例は自社の現場に当てはめにくく、汎用のAIツールを契約しただけでは現場の仕事は変わりにくいためです。
この記事では、石川県かほく市で樹脂射出成形と金型製作を手がける株式会社室島精工様と、当社が株式会社ウイズ・ワンと共同で進めている生成AI活用の伴走支援を紹介します。成果物は2つです。現場の会話を文字起こしして蓄積する音声データベースと、成形機と作業者への割り当てを自動で組む生産スケジューラです。製造の現場でAI活用をどう進めたか、その過程で何を決めたかを開発側の視点で書いています。
取り組みの背景
室島精工様は、少人数で試作から量産までの射出成形を手がけるメーカーです。少人数ゆえに、業務の細かなマニュアルはあえて作らない方針をとられています。マニュアルにできないノウハウが多いためです。たとえば熟練者は、材料や金型の状態、その日の条件から経験に基づく100通りほどの選択肢を思い浮かべ、1つに絞ることができます。経験の浅いうちは思い浮かぶ選択肢が限られ、仮に100通りを示されても絞り込むには経験が必要です。
生成AIに期待したのは、この「100通りから数個に絞る」部分の補助です。ただし、そのためにはAIに読ませる現場のデータが必要です。室島精工様は当社と出会う前から、現場のやり取りを録音して文字起こしし、データベースにする試みを始めておられました。データを集めることがAI活用の出発点になる、というお考えからです。
展示会でお会いしたことをきっかけに当社とウイズ・ワンが加わり、週に1回ほどの打合せで方針を決め、その間に開発を進める伴走の形をとっています。技術の選定と実装は当社が担い、現場での検証と要望の整理は室島精工様に実施いただいております。
進め方の判断
最初に決めたのは、順番です。AIに何かを答えさせる前に、まず現場のデータを確実に集められる基盤を作ることにしました。室島精工様が描かれた段階は次のとおりです。
- 現場の音声を集めてデータベースにする基盤を作る
- 集めたデータからAIが要約や検索結果を返す仕組みを作る
- 蓄積したデータから、トラブルが起きやすい行動パターンを分析する
- 作業中にAIから注意点をリアルタイムで返す
現在は1と2が動いており、3以降はデータが溜まってから取り組む計画です。データの活用方法は、データが集まってから見えてくるものも多いためです。
もうひとつ決めたのは、記録の対象です。室島精工様では作業そのものより振り返りを重視されています。トラブルの当事者はその場では問題に気づきにくく、あとから「これをしていなかったか」と掘り下げて初めて原因がわかることが多いからです。この振り返りを全員の経験値にするために、作業中の解説や打合せの会話を音声で残すことにしました。話すことで作業者自身の理解が深まる副次的な効果もあります。
音声データベース
構成は次のとおりです。
音声認識サービスは切り替えられるようにした:
現場の録音には機械音が入り、樹脂や金型の専門用語も多く、方言もあります。日本語の精度、ノイズ耐性、用語の辞書登録、話者の分離を要件にして、大手クラウド各社や音声認識専業の会社など複数のサービスを比較しました。結論としては専門用語と機械音にもっとも強かったものを既定にしましたが、Web版では5つのサービスを設定で切り替えられるようにしています。音声認識の精度は数ヶ月単位で変わるため、乗り換えを前提にした作りにしておくと、後から比較実験ができます。
文字起こしを構造化してから保存する:
文字起こしの文章をそのまま保存しても、あとから探せません。そこで軽量の生成AIモデルで、作業内容の要約、出来事の一覧、タグを生成してから保存しています。データベースはクラウドの軽量なものを使い、文章の意味で検索できるベクトル索引を持たせました。これにより「過去に同じような材料で起きたトラブル」のような質問を、AIチャットの画面から尋ねられます。
録音の種類を3つに分けた:
作業中の解説を録音する「作業録音」、経営者の考えや判断を残す「社長音声」、打合せなどの「業務記録」です。話者や日時などの付帯情報の付け方が違うため、画面は共通にしつつ、保存先と検索の絞り込みを分けました。
Windows版ではAIに送る音声を減らす:
最初はブラウザで動くWeb版を作り、その後、現場のパソコンで動くWindows版を追加しました。長時間の録音では無音の時間が多いため、Windows版では音声区間の検出を行い、話している部分だけを音声認識に送ります。送る音声が減る分、費用と処理時間を抑えられます。共有フォルダに置かれた録音を1分ごとに取り込む自動処理も入れ、同じ音声を二重に処理しないよう、ファイルの内容から算出したハッシュ値で照合しています。
※実際の画面ではなく、記事用に当社で作成したサンプル画面です。データも架空のものです
生産スケジューラ
もうひとつの成果物が、成形工程の生産スケジューラです。注文ごとに、どの成形機で、誰が、いつ作業するかを組む仕事を自動化しました。
Googleスプレッドシートの運用を変えない:
室島精工様では、社内の発注リストや製品・成形機・作業者のマスタをGoogleスプレッドシートで管理されています。この運用を変えず、スケジューラはスプレッドシートを読み込んで計画を作り、進捗や実績をスプレッドシートへ書き戻す構成にしました。現場にとって新しい入力画面が増えず、スケジューラが止まってもスプレッドシートの運用は続けられます。
割り当てには生成AIを使わない:
注文の割り当てには、前段取り、成形、後段取り、仕上げという工程の順序、成形機と作業者の重複禁止、作業者のシフト・休憩・休業日、1日の作業時間の上限、材料の乾燥に要する日数といった制約があります。こうした制約を満たす計画は、生成AIより従来型の制約付きスケジューリングの方が確実で速く、同じ入力に同じ結果を返します。検討の初期に、古典的なアルゴリズム、機械学習、生成AIのどれで解くかを整理したうえで、割り当てそのものには生成AIを使わない判断をしました。生成AIは万能ではなく、向いていない仕事もあります。
人が直すことを前提にする:
自動で組んだ計画が現場の事情に合わないことは必ずあります。カレンダー画面でドラッグして動かす、分割する、中止する、といった手直しができ、直したタスクを固定したまま残りを再計算できます。制約を満たさない配置には警告を出しますが、配置自体は禁止しません。最終判断は人が行い、システムはその判断を支える設計です。
※実際の画面ではなく、記事用に当社で作成したサンプル画面です。データも架空のものです
PoCから本番へ作り直した:
最初はPythonで短期間に動くものを作り、現場で使っていただきながら制約の抜け漏れを洗い出しました。要件が固まった段階で、TypeScriptで本番版を作り直しています。スケジュール計算を副作用のない独立したパッケージにし、JSTとUTCの両方でテストを通すなど、長く使うことを前提にした構成です。クラウド上で動かし、社内の人だけがアクセスできるように認証をかけています。
伴走支援の進め方
この取り組みで大切にしているのは、大きな要件定義をしないことです。打合せは週に1回ほどで、各回で現場の使用感と次に直すことを決めます。音声データベースでは、録音の再処理が意図せず走る不具合、音声認識サービスが一時的に使えないときの停止と再開、データベース画面の見やすさなど、使ってみて初めてわかる課題が毎回出てきます。それをその都度直すことで、現場が使い続けられるものになっていきます。
また、すべてを作らない判断も伴走の一部です。打合せの中で出てきた要望のうち、既存のツールで済むものは自社開発せず、適したツールを紹介しています。開発会社として作れるものはたくさんありますが、作れることと作るべきことは別だと考えています。
まとめ
室島精工様との取り組みは、マニュアルにできない熟練の判断を残すために、まず現場のデータを集める基盤を作るところから始まりました。音声認識サービスを切り替えられる音声データベースで会話を蓄積し、生産スケジューラでは生成AIを使わない判断をして、スプレッドシートの運用を変えずに割り当てを自動化しています。
生成AIの活用を自社で進めたいが、技術の選定や実装を任せられる相手がほしい。そうしたご希望をもつ方は、AI受託開発サービスのページをご覧ください。用途の整理から検証、開発、運用まで一貫して対応しています。
よくある質問
Q. 伴走支援ではどこまでやってもらえますか?
技術の選定、設計、実装、運用中の改修まで対応します。現場での検証と要望の整理はお客様に担っていただく形が、もっとも早く現場に定着します。
Q. 現場の録音は機械の音が入っても文字起こしできますか?
可能です。今回の事例では、作業者の口元に近いピンマイクで声を拾い、音声認識サービスを複数比較したうえで、専門用語と機械音に強いものを選びました。完全ではないため、用語の辞書登録や事後の修正を組み合わせています。
Q. 生産スケジューラは他の製造業でも使えますか?
制約の整理から行えば可能です。工程の順序、設備と人の重複、シフト、材料の準備期間など、業種ごとに違う制約を最初に洗い出し、既存の注文管理の仕組みをそのまま活かして組み込むのが基本の進め方です。